見返りや期待を手放す「ヨガ哲学」

見返りや期待を手放す「ヨガ哲学」

i 2014年5月7日 コメント数:0 by

先日、執筆活動のLealtaにて記事がアップされました→「心を開放して、優しく見つめてみること」http://lealta.jp/open-mind/この中にある、見返りや期待を手放すという”献身”について、ヨガ哲学を考えてみます。
ヨガの練習で様々なポーズを出来るようになりたいと思う気持ちで”ポーズを取りに行く”と、体を痛めたり呼吸が出来ていなかったり、ひどい筋肉痛で苦しむことになります。しかし、ポーズをしている間の5呼吸で自分の身体の状態に意識を向けて、深い呼吸と快適さと安定感を探していくと…いつの間にかポーズが出来るようになっていたという経験を重ねます。まさに、ポーズが向こうからやってきた瞬間です。自分の”今”の状態に真剣に向き合った結果です。
日々、ヨガの練習をしていると、日常生活においても無理に理想へ持っていくことや強いることが結果、より大きな不調和をもたらすことに気づかされます。自分が心地好くて周りも同じように感じる選択をしていくと、良い循環を生んでミラクルが引き寄せられてくるといった体験をします。その不思議な法則は”自分は生かされているんだ”と思えてしょうがないのです。

「サマスティティヒ」
アシュタンガヨガのプラクティスでは、このサマスティティヒ(立った中立の状態)から始まり、サマスティティヒに戻ります。サマ→均衡という”0”ゼロの状態、今やったポーズは出来ても出来なくても捨てる・とらわれない・執着をせず、次のポーズの”今”に集中します。

「カルマヨガ」
行いのヨガ、生き方そのものを教えてくれます。私たちの”今”はすべて、これまでに自分が生んだ行いの結果だという因果応報の法則です。同時に、今この瞬間も未来を創っているのです。
全体の調和のために自分がするべき義務を、結果ではなく行為そのものに熱意を向けます。無私、無執着で自分のするべきことを果たすことで、”真実を見る力”を養います。見返りや期待は自分自身の欲望から生まれます。この欲望は”好き・嫌い”から発生します。欲望は嫉妬や執着、怒り、悲しみと心を苦しめます。欲望から手に入れた物は失う恐怖や不安を生み出します。心を束縛する”見返りや期待という欲望”を手放して、全体の調和に向けた行いをすることで自分や周りに対しての対立する気持ちがなくなり、静かな心で物事の本質を見ることが出来ます。心が軽くなり、自由な発想と満たされた気持ちでいられます。

「イーシュヴァラ・プラニダーナ」
ヨガ八支則の初めにあるヤマ(周囲の人や物に対して自制すること)とニヤマ(自己に対して行うべきこと)。
ニヤマの最後にある「イーシュヴァラ・プラニダーナ」は自在神への祈念。自分自身を信じる”自信”です。自分の限界を受け入れ、意志を放棄することで、人は意識という呪縛から魂を解放して、心の自由に向かうという教えです。心をクリアにして変化を受け入れる強い心を育てます。
大きな自然の中で、私たち人間もその自然の一部として大きな流れの中で”生かされている”ことに感謝をします。太陽の光を浴びて、海や大地の恵みを摂取して私たちは作られています。
流れに身を委ねて、透き通っていて、自然体でいることでそのリズムと自分が調和して、必要なことが引き寄せられ不必要なものは流れていくことを身を持って感じることが出来ると…受け入れること、手放すことが気持ちよくなり、執着もなくなっていきます。

私自身、ヨガを続けてきて、なんだかずぅーっと感じていたことが…アシュタンガヨガの先生たちとヨガ哲学に出会った時に”言葉”として教えていただいたものばかりでした。まだまだ、自分の言葉で上手く伝えられないので、日々学ぶことがたくさんあるなぁ~とも実感しています。 そのためにも、日々のプラクティスや過ごす人たちから大切なものを得ていきたいと思います。


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