ヨガが訪れる時

ヨガが訪れる時

i 2016年3月18日 コメント数:0 by

ヨガソルナ200時間ティーチャートレーニングで担当講師の日が続いてます。

 

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ace八千代台の皆さんに

「月末まで会えないから今日は絶対来ようと思って」

「2週間続けて代行だから、どっか修行に行くのかと思ってた^ ^」

と‥笑

ちゃいまーす

 

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前回の7期もそうですが、

本当にそれぞれ皆さん

いろいろ抱えてきた人生で。

このタイミングでヨガを深めることになっていたんじゃないかって思うくらい。

 

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ヨガの先生のプロフィールなどを見てても

皆さん大きな何かのタイミングで

ヨガの道にぎゅいーんと導かれたりします。

まるで、ヨガが待っていてくれたかのように。

 

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ユキオ先生が言う

「ヨガはその人にとってベストなタイミングで訪れる」

を実感します。

 

すでにヨガを教えられている方も何名かいらっしゃいます。

 

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そしてこの期間中にどんどん浄化する様子は

私も気づきをたくさんいただきます。

 

私の胸の中に残ったある方のお話。

以前にヨガのTTを受けたけど、

「これはカラダだけではないモノ」と感じ、

まだその時は

自分に向き合う自信がなくて、

自分を知ることがコワくて、

違うお仕事をされていたそうです。

 

そうすると、周りに集まる人も同じような人ばかりで

次第に苦しくなってきたと。

そして昨年いろんな事があり、

今回参加されてます。

 

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ユミ先生は

「変わりたくない人はヨガをしない方がいい」と言います。

 

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ニケタンでは‥

『自分と真実在との間には“小穴のあいた幕”のようなもので遮られている。

幕はマーヤ―(迷妄=自然界、人間社会)と呼ばれ、

“小穴”から諸現象の背後(真実在)をのぞくのがヨーガだと考えられている。

 

そして、“不幸な出来事”こそ、

この幕を破り“小穴”を造るために与えられた好機と伝統的ヨーガでは考えている。

 

ヨーガを行う者は変化するものに執着することなく、

その向こうの白い壁にたどり着きたいという

欲望、探究、実践、修練を重ねていく。

 

多くの人は

“変化するもの”に引きづられる。

そんな時ほど“小穴”から背後をのぞく絶好のチャンスであり、

ヨーガを深める時である。

 

自己(自分の都合)の放棄こそ「それ/真実在なるもの」への道だとされている。

 

根本的な無知(アヴィディヤー)とは

「自分はちっぽけな肉体である」

「汚れた小さな心である」と思うことであり

これが全ての利己主義の母となる。

「自分はちっぽけな肉体である」と思うやいなや、

他人の身体を犠牲にしてでも

自分のそのちっぽけな身体を守ることを欲するようになる。

 

すると真の自分と仮の自分とは離ればなれになり、

この分離の観念が人を不幸へと導くことになる。

 

真の勇気を持つことは、

「私は不生不滅の全能の純粋意識なのだ」

「御身は不変で真実なのだ」

と悟ることで生じる。

 

「きよらかで、無限で、完全な魂。

宇宙の力は個々のうちにある」

ということ

「自分が内に持っているものを、

私たちは外に持つようになる」

ゆえに

「アハン・ブラフマ・アスミ(梵我一如)」と悟れ

と言われている。

 

そこで必要とされることとは

“不幸”や“不都合”を体験した時こそ、

自分自身の生活の仕方を正しい向きに変えるチャンスであり、

“気づきの原因”となる心身の病気や災害やトラウマ体験を

ヨーガの哲学と実践で変えていく。』

 

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ヨガに出会う時が、その時です。

分からなかったけど

続けていて、

ふと理解できることもあります。

だから一生かけてヨガをするんだなぁと思います。

 

 


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