している私と観ている私

している私と観ている私

i 2016年9月30日 コメント数:0 by

ユリ先生のお宅に集まりました^ ^

勝田台駅から徒歩1分

スタジオ兼、ご自宅の

ヨガチャンドラ

とっても良い気が流れてます♪

 

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ユリ先生としのぶさんと里子さん^ ^

ユリ先生のカレーはいつも

美味しいです♪

 

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ユリ先生のハーモニウムを楽しむ里子さん^ ^

お2人は

キルタンでハートが開いたらしい!

私にはよく分かりません〜

 

 

ユリ先生が持っていたギーターカード

聖典バガヴァッド・ギーターを

分かりやすく学べます^ ^

 

その日その時、

必要な教えを引いてしまいます。

 

里子さんは

プラーマヤーマ(呼吸法)=自分を正す

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私は『カルター(行い手)』を引きました。

カルター(行い手)=限りない存在

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カルターというのは、

カルマに縛られて、本当の自分を見失っている人のことをいいます。

 

何かをしているわたし、

所有するもの、役割、家庭環境や名前すら

本当のわたしではなくて。

 

そういったものが「わたし」だと思って生きていることを、

ヨガでは“無知”と言います。

 

それらが「わたし」と思っていることは、

それに縛られています。

苦しみを抱えて輪廻していきます。

 

自分が行為者と思っている人は

自分自身の行為の結果に縛られて苦しみます。

 

自分を「カルター」と思い込み、

勝手に窮屈な枠や限界をつくり、

はめ込んでしまっている状態。

 

何かが足りない、何かになりたい、

という自分以外の何かを求める行いが

カルマに縛られた「カルター」です。

本当の自分を知ろうとしないのも「カルター」です。

 

 

本当のわたし(アートマン・真我)が

“在る”“知る”という

名前や役割や所有しているものはあるのだけど、

自分の義務(ダルマ)を行うのだけど、

それに縛られていない

“自由=モークシャ”が

ヨガのゴールです。

 

私たちはカルターではない、

本当の自分は無限の存在である。

 

限界は自分自身が作ってて

やること、起こることにいちいち

とらわれてて

それらは、ただの現象であって

“自己解放”のタイミングとして

起きたチャンスでね。

 

バガヴァッド・ギーターでは↓↓↓

 

「人は単に行いをせず、

動かないとういことでは自由になれない。

 

行いに束縛されない「存在」である

自分自身の本質を理解することが

本当の自由である。

 

体を動かし、頭を使い、話し、聞き、食べるなど

様々な行いをしながらも

”自分自身が『カルター(行い手)』である

という認識”に縛られない事で、

行いから自由になるのだ。

 

それはただ単に

『サンニャーシー(出家者)』として、

社会の義務と権利を放棄したとしても、

叶えられない。」

 

はい、世俗が1番の修行です。

日々の生活で

行いをしながら、関わりながら、

結果や期待を放棄して

無執着に

無私の思いで行為に専念、

いつも心はカラッと

すべてに丁寧に向き合う。

 

縛られてる時、とらわれている時、

限界決めている時は

自分の自我(エゴ)や

無意識やカルマ(サンスカーラ、インナーチャイルド)

に気づき解放する時ですね。

 

映画マトリックスは

ヨガの哲学を表現したものとして紹介されますが、

エージェント・スミスさん

agency=主体、行動している状態=カルター

 

こういったものを捨てた

ネオ(真実)がヨガです。

 

真我アートマンは純粋意識で

活動することなく

ただ観ている

無限で永遠で不変に

“在る”もの。

 

「自分が行動していると思っているのは

ただ愚かな者ばかりである」

とクリシュナは語っていると。

 

自己を見つめ、自己を知り、

自我を手放し、自己を解放。

とらわれの世界から調和と平安へ。

 

あらためて、

日常生活においても

ヨガの実践を考えさせられましたヽ(´o`;

 

 


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