寝言でも言っていた^ ^
“サンカーラ”
何それ?
ですね。
自分の中に溜めこんだ感情や執着。
そして、私たちは
一瞬一瞬サンカーラを生み続けているのです。
溜め込みながらも
また新たなサンカーラをモリモリと。
それは
水面に指で文字を書いたように消えるものもあれば、
砂の上に指で文字を書いたように次第に消えゆくものもあれば、
岩の上に刃物で刻み込んだようになかなか消えないものもあります。
人間の苦しみ(執着)はサンカーラが引き起こします。
生きていると
起こって欲しいことが起こらなかったり、
起きて欲しくないことが起こったり。
それにいちいち反応して一喜一憂することに疲れませんか?
それがきっかけで
自分や他人を
比較したり非難したり罰したり傷つけたり。
優越感も劣等感も
がっかりも有頂天も真実ではないのです。
そこに、幸せはないということです。
起こることは起こるし、
起こることはすべて自然で必要なプロセスで起こるべくして起こるのです。
ヨガでは、
好き(ラーガ)嫌い(ドヴェーシャ)が執着という苦しみの原因とされます。
ヴィッパーサナでも
快 → 渇望
不快 → 嫌悪
というサンカーラ(執着)を作ると説明されます。
なぜ快楽や楽しいことがいけないの?
って思いますよね。
私も、楽しければイイじゃん♪
と思いますが、
そういうことを“無知”というそうです(笑)
渇望は、苦しみと悲しみを生む。
嫌悪は、苦しみとみじめさを生む。
無になるとか
何も感じないとかそういうことではありません。
楽しい、嬉しい、悲しい、悔しい、腹立たしい‥
起こる感情は自然なことです。
しかし、
ブッダのもとで修行している者たちは
その先を生み出しません。
ただそうだっただけ。
だから何ってわけじゃなくて。
それだけ。
新しいサンカーラを生みません。
執着やとらわれから解放された
本当の意味での自由、調和、平和。
「ワタシ」がないので
すべての人や物に、
大きくて清らかな心で善意を持って。
肉体は死んだら無くなります。
名前や財産、マイホームやクルマも所有・保持しとくことなんてできません。
死んだら魂とともに次世に持って生まれるのは、
知恵とカルマ(サンカーラ)だけなのです。
だから、ムチムチ(無知無知)な人は
次も
渇望と嫌悪にまみれた苦しみをどう乗り越えるかっていう
ゲームをエンジョイ出来ますのです^^
知恵を持った人たちは
アニッチャ(無常)を知っているので
肉体やワタシへの執着を手放しやすくなります。
なぜなら、変化するそれらは本当の自己ではないからです。
永遠で普遍なものにしか興味がないから。
ダンマ・ディッチャーで教わったこと。
すべてのものは移ろいゆくものなのに、
それに対して
渇望して何の意味があるのでしようか?
嫌悪して何の意味があるのでしょうか?
例えば、空であれば
雲のように様々に移り変わっているだけ。
雲があなたではなくて、
永遠に続く変わることない大きな空があなたなのです。
例えば、宿のように
様々な客人が泊まっては出て行き、
すぐ去る人もいれば
長く居座る人もいるでしょうけど、
人々自体は問題ではなくて、
振り回されることなく
すべての客人に優しくしたら良いのです。
あなたの宿が心地良くあることが大切。
自分で雨や嵐を降らせたり、
宿でのクレームを作るような
新しいサンカーラは生む必要なんてないんだよー。ってこと。
伝わるかしら???
そして、
その“サンカーラ”は何から出来ているのか?
①食べるもの
②環境(空気)
③古いサンカーラ
(過去に作り出して蓄えてきた汚れや縛り目)
まだまだキレイになりましぇん。
サンカーラまみれです(°_°)
ヨガが気持ち良いのは、
縛り目がほどけて‥
何者でもない、まんまの自分に安心していくからですね。
自分に優しく寄り添えるようになるから、
周囲に対してもそうなる。
真実を見る目も養われ、気づきが増えます。
いっぱいほどきましょう。
流しましょう。
Comments
emi
2016年11月26日 at 8:16 PMakko先生☆
スゴイ納得です(*´∀`)♪
akko
2016年11月26日 at 11:28 PMえみさん(^^)
分かってくれた!
サスガでございます☆☆