興味あるとこ、そこ。

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i 2017年2月7日 コメント数:0 by

こないだの日曜日、

NHK大河を見ていて

「おぉー!!!」

となったのが、

禅問答(公案)‥‥マニアック^^;

 

 

今年の大河ドラマは

遠江・井伊氏お家断絶の危機を救った女領主

井伊直虎(いいなおとら)

↑↑↑

女性です(柴咲コウ)

 

城主です。

そして、幼少期に出家してます。

 

その出家したのが、

龍潭寺

禅宗 臨済宗妙心寺派

<次郎法師(じろうほうし)>

という名で。

 

 

禅宗では

禅問答と言われる「公案」

というものがあります。

 

大河ドラマの中で

次郎法師(柴咲コウ)が

語っていた公案というのが

↓↓↓

 

中国の禅師、

六祖慧能(ろくそえのう)の

『非風非幡(ひふうひばん)』

無門関29より

 

*****************

 

2人の僧が

風になびく幡(はた)を見ながら

対論をした。

 

「幡が動いているのだ」

「いや、風が動いているのだ」

互いに譲らず、結論が出なかった。

 

そこに通りかかった

慧能禅師が言った。

 

「幡が動くのでも風が動くのでもない。

あなたがたの心が動いているのだ。」

 

2人の僧は深く恥じた。

 

*****************

 

大河ドラマでは、

ある1つの事件に対して

それぞれの思いや

見え方捉え方の違いについてを

公案を用いて話してました。

 

 

これは、

 

心に実体はなく

動いているのは

幡(はた)でも風でもなく、

それを見ている人の心だという、

“心の実体”に挑む公案。

 

物事を見て判断する人の心に

実体はないのです。

 

こだわることで

対立、怒り、苛立ちが生まれる。

 

空(くう)を理解している人はムキいならない。

 

 

 

公案は

答えがありません。

 

その続きや解釈はサマザマです。

 

自分なりにハッピーな

おもしろい解釈でもしてみてください。

 

 

だから二極にかたよることなく、

真ん中でもなく、

 

少し遠くからそれを見る

“中庸”を養う。

 

できるだけ

起こった事や

自分と違う相手や

自分の感情に対しても

優しく見つめる。

 

日々の忙しさの中でも

静けさがあること。

 

そのまんまんの自分に

オーケーオーケー、ハグ(╹◡╹)

 

たまに、

「喝!!」

^^;笑

 

 

 

 

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