現在
「秘教治療~エソテリック・ヒーリング~」年間講座
でご一緒していて
神尾先生のサイトにて推薦文も掲載されてる
ブループリント協会代表
は、
ヒーリング/エネルギーの世界で
長く活動されていて。
ユキさんのお話を聞いていると
次元が違い過ぎて
眼も口もポカーン。。。
秘教を学んでいると、
普段なかなか出会えない
スゴイ人たちがたくさんいます。
ユキさんが話していたこと。
”トランスパーソナル心理学の
吉福伸逸さん”
が
良いセラピストの条件は
・女性であること
・おっぱいが大きいこと
『自分をあけわたすことができる人』
と言っていたそうです。
まぁ、
必ずしも
そうではないことは理解してくださいね。
いろんな角度で考察できそうな条件ですね。
意識の世界にいる神様が
私たちの身体を通して
この物質世界で仕事を成すために、
肉体を与えられています。
誰でもその内側の奥の方に
同じ
神聖(神性)なような尊さを持っています。
自我やエゴ、煩悩などは
その光を覆ってしまっています。
ワタシを手放して、
覆いが取れて
スムーズに自分の身体を通して
仕事をしてもらっている時、
“神がかり”的な仕事となります。
超越することは
ワタシという自我を超えた時、
神の仕事が成されるのです。
『あけわたす』
ヨーガ・スートラ八支則の2番目
ニヤマの中にある
“イーシュヴァラ・プラニダーナ”
=至高の存在に身を委ねること
コレに似た感覚で捉えました。
“捧げる”
献身こそが真のヨーガ
(所有することをやめると、
心身は一気に軽くなる)
そして、
”バクティ”の精神でプラクティスすると
格段と練習の質が上がったのです。
それだけ、
ワタシという意識は
自分をブロックしているのです。
ヨーガ・ニケタン(木村慧心先生)
で説明されている
バクティ・ヨーガとは
“感性のヨーガ”
「バクティ(信愛)は、
神への強烈な愛である」
人は何かを大切に(愛)して生きている。
スワミ・ヴィヴェーカナンダ大師は、
神様を最も大切なものとして生きる
生き方の技法が
バクティ・ヨーガであるとする。
《バクティの四段階》
①情欲や強欲などのカーマ(愛着)の段階
…自己中心的
②カーマを基に献げたり分かち合いをする
プレーマン(友情)の段階
…行為の結果の放棄
③プレーマン段階に
自己放棄(プラパッティ)の心が加わると、
友情を超える段階になるが、
これがバクティとなる段階。
…ギブ・アンド・テイクの関係から
段階がさらに高まり、
そこに
”自己放棄”という
エゴを超える高尚な宗教性が生じてくると、
バクティ/信愛という世界の門が開かれる。
④パラー・バクティ(最高の信愛)
…自分の都合は全て無くなり、
全ての生き方が”無心さ”の宗教性
スワミ・ヴィヴェーカナンダ大師の言葉。
↓↓↓
魂の浄化だけを目指しなさい。
最高の浄化具は「放棄」です。
4つの段階がある
バクティ/信愛も、
自分を愛するバクティの次元は低い。
最高のバクティの場合は、
自分の都合や楽しみは
その思いの中にはない。
自分の思いを超えたところに、
慈愛の世界が見えてくる。
超えるには
自己執着である
”エゴ/自我”の放棄が必要なのである。
喜んで、
『あけわたす』
エゴを超えた
無分別の意識状態に入る。
“自分の都合”
がないことで
→成長、浄化を進めるとのこと。
どうでしょうか?
“自己放棄”
“あけわたす”
自然と何かしら、
みんながやっているはず。
“献身性”は
誰もが本能として持ってます。
無意識か
意識的にか
の違い。
ホワイトマジックより↓↓↓
「あらゆる段階のすべての人に自分なりの献身がある」
「そして、そのために彼は生き、
そのために~無知、知識、もしくは知恵によって~
自分に把握できるだけの法則を操作する。」
その献身は、
①肉体に集中し、渇望や所有に集中する
純粋に物質的なものかもしれない
自分のすべてのエネルギーをその形態の
満足の追求に傾注し、そうすることで学ぶ。
②献身の目的が純粋にアストラル的な場合もある
妻や子供や家族に対する愛、民族の誇り、
評判への愛着、ある種の渇望。
それらに自分の全エネルギーを捧げ、
アストラル体の欲求を成就させるために肉体を用いる。
③献身の形態がさらに高位のものである場合もある。
芸術、科学、哲学への愛、
宗教的、科学的、芸術的な生活への愛かもしれない。
それらに肉体とアストラル体とメンタル体のエネルギーを捧げる。
いつでも波動は目標に見合ったものになり、
その目標を達成し、
それを凌駕し、
そして分解する。
この破壊と基調の変化のリズムには
いつも、すべて苦痛が伴うもの。
多くの生涯が、数千年にもわたって
低波動のもとで費やされる。
望ましい速さで進歩するならば、
絶えざる運動、
絶えざる変化と分化、
建設と破壊、
計画立てとそれらの計画の破棄
を繰り返す生涯になる。
つまり、魂の進化が望ましいとは、
止むことのない苦悩の人生、
周囲の環境としばしば衝突する人生、
多くの友情を作っては去る人生であり、
”絶えざる盛衰”と
その結果としての苦悶の人生である。
そして、それを乗り越えていると
次の形態が建設されている。
それは ↓↓↓
”内在する神の寺院”
類稀な美しさ、確固とした安定性。
内なる神聖、神性の真理だけを意識し、
自分の形態とすべての形態のはかなさを
深く身に染みて認識し、
それまで頼りにしてきたすべて
(友人であれ、大師、教義、周囲であれ)を失うという
=すべてのものを両手から滑り落とした時に初めて、
その手は
苦闘する人類に究極の祝福をもたらす自由を得る。
その段階では、
自分で望み通りの形態を築く。
破壊をこうむることのない新しい形態。
柔軟性と敏感さを目指す。
*新しい波動に順応するまでは
多くの破壊が引き起こされる時期が続く。
しかし
柔軟性と順応性を培ってきた人々などは、
結晶化され固定化された人々よりも、
前進するときに
少ない崩壊を経験するだけで済む。
**************
自我を取り壊すような出来事が
次々とやってくる。
そんな時こそ浄化と進化のタイミング。
真実に気づく時。
献身性、あけわたすことの
喜びを知っていると
その打撃(破壊)は少ない。
どちらも
たどる方向は
自己放棄、無執着。
ゆっくりでいいともいます。
あせらない、
あじわって。
ねー☆
まだまだ修行は続きます(^^;;
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