あけわたす

あけわたす

i 2017年8月30日 コメント数:0 by

現在

「秘教治療~エソテリック・ヒーリング~」年間講座

でご一緒していて

 

神尾先生のサイトにて推薦文も掲載されてる

ブループリント協会代表

山本ユキさん

は、

 

ヒーリング/エネルギーの世界で

長く活動されていて。

 

 

ユキさんのお話を聞いていると

次元が違い過ぎて

眼も口もポカーン。。。

 

 

 

秘教を学んでいると、

普段なかなか出会えない

スゴイ人たちがたくさんいます。

 

 

 

ユキさんが話していたこと。

 

”トランスパーソナル心理学の

吉福伸逸さん”

 

良いセラピストの条件は

・女性であること

・おっぱいが大きいこと

自分をあけわたすことができる人

 

と言っていたそうです。

 

まぁ、

必ずしも

そうではないことは理解してくださいね。

 

いろんな角度で考察できそうな条件ですね。

 

 

 

 

意識の世界にいる神様が

私たちの身体を通して

この物質世界で仕事を成すために、

肉体を与えられています。

 

 

誰でもその内側の奥の方に

同じ

神聖(神性)なような尊さを持っています。

 

 

自我やエゴ、煩悩などは

その光を覆ってしまっています。

 

 

ワタシを手放して、

覆いが取れて

スムーズに自分の身体を通して

仕事をしてもらっている時、

“神がかり”的な仕事となります。

 

 

超越することは

ワタシという自我を超えた時、

神の仕事が成されるのです。

 

 

 

あけわたす

 

 

ヨーガ・スートラ八支則の2番目

ニヤマの中にある

 

イーシュヴァラ・プラニダーナ

至高の存在に身を委ねること

 

コレに似た感覚で捉えました。

 

捧げる

 

献身こそが真のヨーガ

(所有することをやめると、

心身は一気に軽くなる)

 

 

 

 

 

 

 

そして、

”バクティ”の精神でプラクティスすると

格段と練習の質が上がったのです。

 

それだけ、

ワタシという意識は

自分をブロックしているのです。

 

 

 

ヨーガ・ニケタン(木村慧心先生)

で説明されている

バクティ・ヨーガとは

“感性のヨーガ”

 

「バクティ(信愛)は、

神への強烈な愛である」

 

 

人は何かを大切に(愛)して生きている。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ大師は、

神様を最も大切なものとして生きる

生き方の技法が

バクティ・ヨーガであるとする。

 

 

《バクティの四段階》

 

①情欲や強欲などのカーマ(愛着)の段階

…自己中心的

 

 

②カーマを基に献げたり分かち合いをする

プレーマン(友情)の段階

…行為の結果の放棄

 

 

③プレーマン段階に

自己放棄(プラパッティ)の心が加わると、

 

友情を超える段階になるが、

これがバクティとなる段階。

 

…ギブ・アンド・テイクの関係から

段階がさらに高まり、

 

そこに

”自己放棄”という

エゴを超える高尚な宗教性が生じてくると、

バクティ/信愛という世界の門が開かれる。

 

 

パラー・バクティ(最高の信愛)

…自分の都合は全て無くなり、

全ての生き方が”無心さ”の宗教性

 

 

 

 

スワミ・ヴィヴェーカナンダ大師の言葉。

↓↓↓

魂の浄化だけを目指しなさい

最高の浄化具は「放棄」です

 

 

4つの段階がある

バクティ/信愛も、

自分を愛するバクティの次元は低い。

 

最高のバクティの場合は、

自分の都合や楽しみは

その思いの中にはない。

 

自分の思いを超えたところに、

慈愛の世界が見えてくる。

 

超えるには

自己執着である

”エゴ/自我”の放棄が必要なのである。

 

喜んで、

『あけわたす』

 

エゴを超えた

無分別の意識状態に入る。

 

 

 

“自分の都合”

がないことで

→成長、浄化を進めるとのこと。

 

 

どうでしょうか?

“自己放棄”

“あけわたす”

 

 

自然と何かしら、

みんながやっているはず。

 

“献身性”は

誰もが本能として持ってます。

無意識か

意識的にか

の違い。

 

 

ホワイトマジックより↓↓↓

 

「あらゆる段階のすべての人に自分なりの献身がある」

 

「そして、そのために彼は生き、

そのために~無知、知識、もしくは知恵によって~

自分に把握できるだけの法則を操作する。」

 

その献身は、

①肉体に集中し、渇望や所有に集中する

純粋に物質的なものかもしれない

自分のすべてのエネルギーをその形態の

満足の追求に傾注し、そうすることで学ぶ。

 

②献身の目的が純粋にアストラル的な場合もある

妻や子供や家族に対する愛、民族の誇り、

評判への愛着、ある種の渇望。

それらに自分の全エネルギーを捧げ、

アストラル体の欲求を成就させるために肉体を用いる。

 

③献身の形態がさらに高位のものである場合もある。

芸術、科学、哲学への愛、

宗教的、科学的、芸術的な生活への愛かもしれない。

それらに肉体とアストラル体とメンタル体のエネルギーを捧げる。

 

 

 

 

いつでも波動は目標に見合ったものになり、

その目標を達成し、

それを凌駕し、

そして分解する。

 

この破壊と基調の変化のリズムには

いつも、すべて苦痛が伴うもの。

 

多くの生涯が、数千年にもわたって

低波動のもとで費やされる。

 

望ましい速さで進歩するならば、

絶えざる運動、

絶えざる変化と分化、

建設と破壊、

計画立てとそれらの計画の破棄

を繰り返す生涯になる。

 

つまり、魂の進化が望ましいとは、

止むことのない苦悩の人生、

周囲の環境としばしば衝突する人生、

多くの友情を作っては去る人生であり、

”絶えざる盛衰”と

その結果としての苦悶の人生である。

 

そして、それを乗り越えていると

次の形態が建設されている。

それは ↓↓↓

”内在する神の寺院”

類稀な美しさ、確固とした安定性。

 

内なる神聖、神性の真理だけを意識し、

自分の形態とすべての形態のはかなさを

深く身に染みて認識し、

それまで頼りにしてきたすべて

(友人であれ、大師、教義、周囲であれ)を失うという

 

=すべてのものを両手から滑り落とした時に初めて、

その手は

苦闘する人類に究極の祝福をもたらす自由を得る。

 

その段階では、

自分で望み通りの形態を築く。

破壊をこうむることのない新しい形態。

柔軟性と敏感さを目指す。

 

*新しい波動に順応するまでは

多くの破壊が引き起こされる時期が続く。

しかし

柔軟性と順応性を培ってきた人々などは、

結晶化され固定化された人々よりも、

前進するときに

少ない崩壊を経験するだけで済む。

 

 

**************

 

自我を取り壊すような出来事が

次々とやってくる。

そんな時こそ浄化と進化のタイミング。

真実に気づく時。

 

 

献身性、あけわたすことの

喜びを知っていると

その打撃(破壊)は少ない。

 

 

どちらも

たどる方向は

自己放棄、無執着。

 

 

ゆっくりでいいともいます。

あせらない、

あじわって。

 

 

ねー☆

 

まだまだ修行は続きます(^^;;

 

 

 


Comments

Leave a reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*