サンヤマ(瞑想)すること

サンヤマ(瞑想)すること

i 2017年12月10日 コメント数:0 by

好きで好きで好きでしょうがないこと

 

やってもやってもやっても疲れないもの

むしろ、より元気になってたりする

 

寝ることよりも食べることよりも

優先したくなるほど夢中になれること

 

そんな時、

⚫︎集中してます

⚫︎瞑想してます

⚫︎それとひとつに溶け合います

 

結果、

気づきが訪れたり

分かったり

恩恵なるものを受け取ります。

 

 

 

 

 

パタンジャリのヨーガスートラ

八支則(アシュターンガ・ヨガ)

 

  1. ヤマ(Yama)…周囲や環境に対して守るべきこと
  2. ニヤマ(Niyama)…自分自身が守るべきこと
  3. アサナ(Asana)…身体を整える
  4. プラーナヤーマ(Pranayama)…調息、呼吸法
  5. プラティヤハーラ(Pratyahara)…五感の制御
  6. ダーラナ(Dharana)…集中
  7. ディヤーナ(Dhyana)…瞑想
  8. サマディ(Samadhi)…悟り

 

ヨーガ・スートラの中で

↑↑↑  八支則の実践については

第2章

『サーダナ・パダ(実修部門)』

 

 

 

 

それを経て

恩恵なる

“好きこそ物の上手なれ”

 

達人となる段階が    ↓↓↓

 

第3章

『ヴィブーティ・パダ(成就部門)』

 

“ヴィブーティ”

とは、

ヨーガ修練の副産物として現れる

成果のすべてを言う。

 

それらは

“シッディ”(超自然力)

と呼ばれることもある。

 

これらの力は、

ラージャ・ヨーガの最後の三支…

ダーラナー[集中]、

ディヤーナ[瞑想]、

サマーディ[三昧]

を修めることによって現れ始める。

 

 

 

 

最後の3つ

6.ダーラナ(Dharana)…集中
7.ディヤーナ(Dhyana)…瞑想
8.サマディ(Samadhi)…悟り

 

『サンヤマ』と言います。

深い瞑想の状態のこと。

 

 

第3章-1 
特定の対象に、心を定めることがダーラナー(集中すること)です。

 

第3章-2
瞑想(ディヤーナ)とは、そうした対象への認識作用の絶え間ない流れである。

 

第3章-3
三昧(サマーディ)とは、この瞑想(ディヤーナ)そのものが形を失ったかのようになり、
その対象がひとり輝くときのことである。

 

第3章-4
ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(瞑想状態)の3つが
サンヤマ(瞑想の3ステップ)です。

 

第3章-5
サンヤマ(瞑想の3ステップ)ができると、真実の智恵が現れます。

 

 

⚫︎集中してます(ダーラナ)

⚫︎瞑想してます(ディヤーナ)

⚫︎自分がそれになってます

=ワタシがなくなってます

=一体となってます(サマーディ)

 

 

 

 

 

第3章-16以下のスートラで

パタンジャリは、

いろいろんなサンヤマと、

その結果として生ずるシッディ

について述べる。

 

 

第3章-16

サンヤマ(瞑想の3ステップ)による瞑想レベルの変化によって、過去と未来の知恵が現れます。

 

第3章-17

言葉に瞑想すると、生物の言葉がわかる

 

第3章-18

自分の性質に瞑想すると、過去世がわかる

 

第3章-19

考えに瞑想すると、他人の心がわかる

 

第3章-22

カルマに瞑想すると、死を知る

 

第3章-27

太陽にサンヤマを施すことによって、
太陽系全体を知ることができる。

 

第3章-28
月にサンヤマを施すことによって、
星の配置を知ることができる。

 

第3章-29
北極星にサンヤマを施すことによって、
星の運行を知ることが出来る。

 

第3章-30
臍の神経叢(チャクラ)にサンヤマを施すことによって、身体の構造を知ることができる。

 

第3章-31
喉のくぼみにサンヤマを施せば、飢えと渇きが止まる。

 

第3章-33
脳天の光【サハスラーラ・チャクラ】に
サンヤマをなすことによって、
神人(シッダ)たちを見ることができる。

 

第3章-35
心臓にサンヤマをなすならば、
心(チッタ)を知ることができる。

 

 

 

 

例えばノーベル賞など

研究者や科学者、

長く作品が愛される芸術家は

サンヤマしてるのです。

瞑想してるのです。

 

それに没頭して

“無我”“夢中 ”= サンヤマ

してると、

自分が“それ自体”になって

そのことが自分のことのように分かる。

これが、

ひらめきや発明や発見の瞬間です。

 

そこには自我(エゴ)がなく

純粋そのものだから。

 

ただ知りたい。

ただ好き。

無条件に。

あるがままに。

 

 

結果を期待することなく

評価を気にすることもなく

一切の利己的な思いを脱ぎ捨てて

無執着に

奉仕の思いで

惚れると、

夢中になると、

そのことがよく解るようになって

そうなる。

 

 

 

 

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ひすいこたろう

名言セラピー    - meigen love

 

 

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「ひすいさんは、どうしてそんなにベストセラーを出せたんだと思いますか?」

 

講演で、そんなふうに質問されることがあります。

 

僕はそのたびに照れながらこう即答します。

「はい、天才ですから^^」

 

冗談じゃなくて、これ、本音100%なんです(笑)

 

あなたの家にある
「3秒でハッピーになる名言セラピー」シリーズの表紙を見てみて。

表紙にハッキリ書かれてるでしょ?

 

僕の肩書き、

「天才コピーライター」って。

 

でね、もっと説明すると、
天才ってどういう才能かっていうと、

 

「惚れる力」だと思っています。

 

 

僕はね、それはそれは自信がある。

 

 

本そのものに惚れてるし
本を書く行為そのものに惚れている。

 

そのことに100%の自信がある!

 

 

中国の孔子は「論語」のなかでこういっています。

 

「これを知る者はこれを好む者に如かず、

これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」

 

 

よく知っている人は、それを好きな人にはかなわない。

それを好きな人は、それを楽しんでいる人にはかなわない。

 

 

好きを越えて
楽しむを越えて

僕、本に惚れてるからね。

僕が惚れてるから
本も僕に惚れてくれたんだと思う。

 

 

 

 

羽賀ヒカルさんの新刊「女神になれる本」(PHP)に推薦の帯びを書かせていただき

このなかで、

ヒカルさんが学生だったころ、
通っていた学習塾の先生のエピソードがでてきます。

ヒカルさんの師匠となる、
この先生の言葉にほんと共感しました。

 

勉強に集中できない
ある受験生にこうメッセージを送ったのです。

 

「勉強に集中できません」と悩む君へ。

 

そう悩むこと自体ナンセンスだ。

 

それは、

ただ単に、勉強を「愛していない」だけだ。

 

人が愛を持つとき、やすらぎの心に近づく。

 

勉強を愛する心と、人を愛する心は、関係性的にイコールだ。

 

たとえば名人と呼ばれる人がいる。
英語でも、料理でも、お茶でも。

 

彼女は、ただ努力して名人になったのではない。

 

対象に惚れたのだ。

 

英語に惚れて、
料理に惚れて、
お茶に惚れた。

 

惚れたら、こんどは対象が彼女に惚れてくれた。

 

英語が惚れてくれた。
料理が惚れてくれた。
お茶が惚れてくれた。

 

対象と相思相愛の関係になった。

 

相思相愛とは……。

英語でやすらぐこと。

料理でやすらぐこと。

お茶でやすらぐこと。

対象とやすらぐから、名人になれたんだ。

 

それは、勉強も同じ。

勉強に惚れたら、勉強もその人に惚れてくれる。

 

そうやって勉強と相思相愛の関係になったら勉強でやすらげる。

(中略)

 

「勉強」とデートしなさい。
「勉強」を喜ばせなさい。
「勉強」の身になって考えなさい。
「勉強」に告白しなさい。
「勉強」と恋愛しなさい。
「勉強」と結婚しなさい。

 

キミが「勉強がイヤだ」と思うとき、

「勉強」が泣いている。

 

「勉強」は、キミにもっと愛されたがっている。

そこに愛がある限り、「勉強」はキミを裏切ったりしない。

 

 

ーーーーーーーーここまで。

いやー。すごい学習塾です^^

 

 

たとえば「ものの見方検定」
全部書き終えてるのに、
何かが違う
と2ヵ月間もうんうんどこが違うのか向き合った。

 

それはそれは、めんどくさい行為です。

 

でも、めんどくさいことも全部含めて、
受けてたてる。

 

惚れるってそういうことです。

 

 

「愛せよ。
人生においてよいものはそれのみである」

ジョルジュ・サンド

 

 

ひすいこたろうでした(^^♪

your happy my happy

▲▲▲アリガ島▲▲▲

 

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ヨーガ・スートラでは

 

サンヤマにより

恩恵や達人となっても、

それが修行の妨げとなると

教えてくれます。

 

 

一喜一憂の心は

まだ

動いてますからね。

チッタがヴリッティしているってことです。

 

極まるけれども

目指すところは

静寂と平安です。

 

カイヴァリャ

 

関わりながらも

とらわれることのない、

つながりながらも

いつも自由な。

 

経典はいつも

フラフラ浮ついた心を

戻してくれます(笑)

 

 

第3章-38

これら【超自然的感覚】は、
【ニルビージャ】サマーディにとっては障害であるが、
世俗的追求にあってはシッディ【力、霊能】である。

 

第3章-51

それ【=これらすべてのシッディ】に対してさえ
無執着であることにより、

束縛の種子が破壊され、
かくしてカイヴァリャ【独存】の状態が顕現する。

 

第3章-52

ヨーギーは、天人からの称賛といえども
これを受容するべきではなく、
慢心の笑みさえ浮かべるべきではない。

ふたたび望ましくないものに
捕捉される恐れがあるからである。

 

第3章-56

サットヴァ(静穏な心)の清浄さが、
自己のそれと等しくなるに至ったとき…
そこにカイヴァリャ[絶対、独存位]がある。

 

 

 

 

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