自我の抵抗

自我の抵抗

i 2017年11月28日 コメント数:0 by

毎日

朝晩の鼻うがいにハマってます^^

 

鼻うがいを楽しみに

帰宅したりしてます(笑)

 

 

眉間あたりがスッキリするので

瞑想の前、

仕事の前、

練習の前、

質の良い睡眠の前、

 

クリアな視点と思考になる

スイッチとして

朝晩のルーティンになってます。

 

 

 

そんな話をヨガ友としてて

出てきた言葉が

 

鼻うがいで

『無抵抗の練習』

 

 

‥‥ホントはコレが

何より気持ち良いのだと思った。

 

 

 

“わたし”

を消されては困る

自我は一生懸命に抵抗してきます。

 

あらゆる手を使って(笑)

 

 

ヨガをした後に

マックのポテトが食べたい

という人がいます^ ^

 

ヨガの後に

ファミレスでハンバーグ食べる人もいます。

 

アイスクリームとか → わたし。

 

 

心理学でも

慈善の行いをすると

悪いことをしたくなるのは

科学的に証明されているそうです。

 

 

“人間だもの”

みつを

 

 

人は本能的に

自然とバランスを取ろうとします。

 

肉体物質という

プラクリティで生きているから。

 

 

 

 

霊的進化の過程で

プラクリティを超えて

プルシャを意識していく

ヨガの実践。

 

 

ヨガの考え方では

 

感覚の快楽、物質的満足は

ろうそくの火

「明るいねぇ〜」

「あったかいねぇ〜♪」

と言っているもの。

 

 

ヨガという

太陽の光を知ると

比べ物にならないくらい

恩恵が降り注ぐので、

ろうそくの火が要らなくなるのです。

 

たまに楽しむくらいでさ。

 

 

だから、

外側に満足を求めるよりも

内側の静けさ穏やかさを求めます。

 

 

得ていくことよりも

浄化の気持ち良さに

中毒症状が出ます(^^;;

 

 

自我がジタバタ

暴れてくるけど、

 

ゆっくりじっくり

対応していくようになります。

 

 

 

 

ヴィパーサナ瞑想

ダンマの言葉では

 

自我の抵抗について

↓↓↓  このように説明されます。

 

 

修行を妨げる五人の敵

-渇望、嫌悪、怠惰(眠気)、動揺、疑惑

 

「渇望」と「嫌悪」

「怠惰」「睡魔」に続いて

「苛立ち」「動揺」

という敵にも悩まされ、

さらに大きな敵が

「疑惑(うたがい)」です。

 

これらは、心の汚濁から生まれます。

 

修行によって追い出されるのを嫌がって、

瞑想するのを止めようとするのです。

 

圧倒されるとき、

浄化は止まってしまいます。

 

この敵に打ち負かされないように。

 

心の奥底に溜まった不純性を滅することです。

 

自然の摂理、法に従って修行する人は、

誰でも、必ず苦悩から自由になれます。

 

正しく修行するならば、

 

気づきの力と平静さを育むように

精進するならば、

 

幾層にも堆積した過去の不純物が

心の表面に上がってきて、

消えてゆくでしょう。

 

この素晴らしい機会を

最大限に利用して、

苦悩から自由になりなさい。

 

そして、

真の安らぎを味わいなさい。

 

みなさん一人ひとりが

真の安らぎを享受されますように。

 

生きとし生けるものが

幸せでありますように。

 

 

 

 

 

だからユリ先生は

お土産も

塩とホワイトセージ

浄化グッズをくださいます(´∀`=)

 

 

吸血鬼に

十字架とニンニクーみたいな。

 

徳性(サットワ)

という縄に

縛られているワタシなので

めっちゃ嬉しいのです(^^;;

 

 

自分の中のエゴを

飼い慣らしていく。

 

やっぱり

外にはなくて

内側にある。

 

 

 

 

『Starting Over』

Mr.Children

 

肥大したモンスターの頭を
隠し持った散弾銃で仕留める
今度こそ 躊躇などせずに
その引き金を引きたい

 

あいつの正体は虚栄心?
失敗を恐れる恐怖心?
持ち上げられ 浮き足立って
膨れ上がった自尊心?

 

さぁ 乱れた呼吸を整え
指先に意識を集めていく

 

僕だけが行ける世界で銃声が轟く
眩い 儚い 閃光が駆けていった

 

「何かが終わり また何かが始まるんだ」
そう きっとその光は僕にそう叫んでる

 

追い詰めたモンスターの目の奥に
孤独と純粋さを見付ける
捨てられた子猫みたいに
身体を丸め怯えてる

 

あぁ このままロープで繋いで
飼い慣らしてくことが出来たなら

 

いくつもの選択肢と可能性に囲まれ
探してた 望んでた ものがぼやけていく

 

「何かが生まれ また何かが死んでいくんだ」
そう きっとそこからは逃げられはしないだろう

 

穏やか過ぎる夕暮れ
真夜中の静寂
またモンスターが暴れだす
僕はそうっと息を殺し
弾倉に弾を込める
この静かな殺気を感づかれちまわぬように

 

今日も 僕だけが行ける世界で銃声が轟く
眩い 儚い 閃光が駆けていった

 

「何かが終わり また何かが始まるんだ」
こうしてずっと この世界は廻ってる

 

「何かが終わり また何かが始まるんだ」
きっと きっと

 

 

************

 

浮かび上がる自我は

嫌悪も渇望(執着)も

(ヴィッパーサナ瞑想は反応しない練習)

 

膨れ上がった自我に対して

呼吸を整えて

意識をひとつに集中させて

(アーナパーナで研ぎ澄まされた

静かで鋭敏な感覚で Quiet mind)

 

 

“何かが終わり何かがまた始まる”

(ヴィッパーサナでいう

アニッチャー‥アニッチャー‥

→ 全ては無常であることを体験する)

 

 

奥底に沈んでいたサンスカーラが

浮かび上がっては流し

浮かび上がっては流し。

 

暴れる自我を無抵抗にして

 

カルマを流し

ダンマに生きる。

 

 

 

 

 

 

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