幸運と慈悲をもらうこと

幸運と慈悲をもらうこと

i 2018年4月8日 コメント数:0 by

サーダナ・バクティ

(修練のバクティ)

を進むにあたっての

 

9つの実践方法

“Bhajana Kriya”

 

 

9つのバクティのプロセスの解説は

シュリーマド・バーガヴァタム

七巻に書かれてあり、

 

その日本語訳の資料を

翻訳した本人から送ってもらえ

転送してくださいました。

 

凄く長く10ページはあり

まだ作業中なので

プライベートの使用におとどめください

という

まだホヤホヤの貴重な資料。

 

おしみなく与えていただき

ありがたいです。

 

 

最近は

バガヴァッドギーター

に加えて

 

“Sri mad Bhagavatam

シュリーマド・バーガヴァタム”

 

の教えに触れる機会を

いただけてます( ´∀`)

 

毎朝の講話も

シュリーマド・バーガヴァタム

 

 

それでも日々実感するのは

 

資料や本やSNSの

文字だけよりも

 

音声録画を聞き返しても

 

“献身者から直接受け取る”

のとでは

 

ぜんっっっぜん違うということ。

 

 

Devoteeの人たちからの教えは

 

感動とひらめき

で興奮します^^;

 

途中で叫びたくなるくらい(笑)

 

サッチャ先生も

大きな穏やかな人でした^^

 

 

ある方のブログより

************

 

シュリーラ・プラブパーダは

【ギーター第6章8節】の要旨解説で、

 

「世俗的な学識をどれほど高めたところで

クリシュナ意識にはなれない。

 

純粋な意識を持った人と

交際することができるという

幸運がどうしても必要である。

 

これによってのみ人は完成する。」

と言っている。

 

 

バクティラタ(愛のつる草)

を育てるための

 

水やり(シュラヴァナン・キルタナン)

雑草駆除(誠実さにより心の高慢さを見つけ破毀する)

献愛者との交際の中で行う。

 

必ず味わいが生まれ、

プレーマに辿り着く。

 

 

 

高慢さの放棄は

献愛者との交際で可能になる

ということである。

 

交際の中で浄化され、純粋になれる。

 

交際の中で自分のオフェンス、

勘違い、勝手な考えに気づき矯正される。

 

名声・地位・物質的な独立・

感覚満足への欲望という高慢さを

放棄する心情が生まれる。

 

献愛者との交際、

マハーマントラの唱名から離れると

高慢さから自由になれない。

 

バクティシッダンタ・サラスヴァティも

「心(心に入ったマーヤー)が

あなたに献愛者との交際から離れるように語りかける時、それを聞いてはいけない」

と忠告する。

 

 

プラブパーダも

「献愛者との交際を求めるべき、

それが得られたなら人生は成功する」

と助言する。

 

 

マーヤーは献愛者の嫌な部分を見せ、

あんな人と一緒にいるぐらいなら、

離れて一人で誰にも乱されずチャンティングしようと思わせる。

 

孤立させる。

 

しかし

自分の心と

誠実に対峙しなかったなら、

その相手の嫌な部分、

許せない態度とは

自分の抱えている問題の反映であることに気づかないで

一生を終える。

 

もし喜びの中で、

甘露の味わいの中で

主の聖なる御名の唱名がしたいのなら、

 

間違いなく献愛者に仕え

慈悲をもらい高慢さを捨てることである。

 

 

 

ジャーイ!!!

 

 

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